重い障害のある人の生活を支えるセミナーより

2011年10月22日

東松山市自立支援協議会主催のセミナーで、みらいに住むユウキさんのお母さんが体験談を話してくださいました。下記はその原稿です。

はじめに

今日はこのようにお話をさせて頂く機会をいただきありがとうございます。初めての事なので不慣れでお聞きづらい点が多くあると思いますがお許しください。

 

私は3人の息子の母で、長男の裕貴は重度の障害があります。現在22歳です。病名は「低酸素性虚血性多喪胞性脳軟化症」です。ずいぶん長い病名でしょう。仮死の状態が長かった人の病名のようです。出産事故によるものでした。

 

幼少の頃

幼いころはケイレンが頻繁で、瞳孔が開き、呼吸が浅くチアノーゼになることが良くありました。何年もかかり薬の調節が出来るようになって、ようやくケイレンも落ち着きました。何年も爆弾を抱えているような気持ちで本当に大変でした。

 

また、風邪にかかって肺炎やアレルギーになると痰の吸引が頻繁になりました。近くの病院へ行っても障害があり、多くの薬を飲んでいるため、断られてしまう事が多くありました。入院するところもなく、結局主治医の板橋の病院まで通院していました。

 

 

学生時代

学校当時も医療的ケアが進まず、医療的ケアの必要な生徒の親はお弁当を持って毎日登校し、吸引や注入を行っていました。裕貴と同じように医療的ケアの必要な子どもの親が集まり、「ひだまり」という会を立ち上げ活動もしました。

 

世の中の動きも医療的ケアの事が話に上がり、看護師さんが常駐してくれるようになりました。しかし、親がいなくても医療的ケアを受けられるのは月に1週間だけで、あとの3週間は今まで通り親が一緒に登校しました。

 

しかも、小学部から高等部まで看護師さんが巡回しているので、本当にケアが必要な時に間に合わない事も多くあり、私も含め待機している親が多かったです。

必要なケアが必要な時に受けられない。現実的に無理な感じがしました。

私は裕貴には悪いと思うけど、本当に登校拒否したいといつも思いながら通っていました。

 

私は裕貴から離れることができず、朝から夜中まで眠る時間もなく常に睡眠不足。居眠り運転にならないように頑張りました。

裕貴にとって吸引や注入は生活行為です。学校の先生方にも知識や技術を高めてもらい、医療的ケアをしていただけたら親の負担も少なくなり、子どもももっと学校生活を楽しく過ごせるのにと、常に感じていました。

 

卒業後

学校を卒業する前から福祉エリアのヘルパーさんに入浴をお願いしていました。卒業後はエリアのヘルパーさんを利用して、日中はいわはなで過ごしています。

裕貴がヘルパーさんの医療的ケアを受けるために、同意書を交わし、ドクターに指導してもらいました。今はヘルパーさんの医療的ケアを受けて日中過ごしています。時には買い物、映画、劇団鑑賞などにも行きます。

 

そして、B型通園事業ハローキッズも週に2回通っています。キッズでも医療的ケアを受けています。お花の水やりの仕事もやり、ここでも楽しく過ごしています。

 

 

ケア会議

ケア会議を設けていただいて今年で3年ほどたったと思います。裕貴に関わる事業所の方や市役所福祉課の方にも参加していただいています。

 

裕貴の状況や各事業所での様子を共有して、日常生活が快適に過ごせるように話し合っています。裕貴はたくさんの人に助けてもらい、とっても安心した生活を送っているので、感謝しています。

 

以前、私はさびしく、孤独を感じていたこともありましたが、今は一人じゃないんだと。裕貴は皆さんに助けてもらい、心配もしていただいて、親の負担も減りました。親子で感謝しています。

 

 

ケアホームみらい

ハローキッズの時のお母さんたちと良く食事をすることがあり、会うと将来は施設にするか、グループホームにするか話が出ていました。いろいろな施設に見学に行ったりもしました。

 

その中でグループホームに住む、自立した生活をしている重度障害の人たちを見させていただき、私たちもホームに子どもたちを住まわせてあげられるかもしれないと考え、話がどんどん具体的になっていきました。そして、昴さんにも力を貸していただいて現実になっていきました。ケア会議でも裕貴の自立した生活に重点を置き、支援計画を丁寧に進めていただきました。

 

この4月、みらいでのシュミレーションが始まりました。

 

日中活動やヘルパーさんは今まで通りでしたが、帰宅場所がみらいになり、夜は私が一緒に泊まりました。裕貴が安定した体調でいられるよう、介護の必要なことをホームの人に伝える機会となりました。

 

裕貴も私もすごく緊張しました。おそらくみらいの職員さんも同じだったと思います。裕貴も私もなかなか眠れませんでした。裕貴の頭には3か所も円形脱毛症ができました。胃ろうからの出血があったり、時には泣いたり。きっと不安だったのだと思います。実は私も熱を出してしまいました。

 

一日一日と、私も裕貴もみらいでの生活に慣れていきました。慣れるのは思ったよりも早かったと思います。兄弟も最初は裕貴の事をすごく心配していました。でも今は「裕貴は自立してすごいなぁ」と言っています。長男として立派なスタートを見せて兄弟にも自立する意識を植え付けたと私は思っています。

裕お兄ちゃんすごいぞ!ありがとう!!